2008年01月10日
毎年恒例!バイト時代お世話になった会社の新年会。
1年に一度、毎年恒例だが、昔お世話になったバイトの会社、シーマンサービスさんの新年会に今年も呼んでいただいた。去年も書いたかもしれないが、飯島が15歳〜21歳までアルバイトとしてお世話になった会社である。この会社のお陰で高校生時代は映画を作ることが出来、この会社のお陰で飯島は専門学校に行くための学費を稼いだのです。感謝の気持ちはいつまでも忘れられません。
実はbhで公開している「拳法狂時代」は、このシーマンサービスの社長さんが、出来立てのほやほやのこの映画をいち早く見てくれた人でもある。ぴあフィルムフェスティバルに入選した時は大変喜んでくれました。
恩師とも言えるこの田中登社長さんだが、当時はこの会社を独立したてで、29歳だった。この方の影響もあり、飯島は20代での独立にこだわった部分もあるのだ。とにかくあらゆる面で社会勉強の場を与えくれたすばらしい会社である。
こうして毎年毎年、新年会に呼んでいただき本当に感謝です。飯島もこの会に参加すると、まるで毎年帰省する子供になった気分である。社長ご夫妻も今でも我が子のように接してくれて、毎年参加させていただく度にうれしそうに歓迎してくれるのだ。
そんな田中社長ももう60歳を迎えるらしい。当時と変わらず、絶大なる元気さで周囲を圧倒する社長からは今でも教えられることが多い。
いつまでもお手本にさせてください。飯島にとってシーマンサービスの方々にお会いできるのは毎年本当に楽しみです。ありがとうございます。
実はbhで公開している「拳法狂時代」は、このシーマンサービスの社長さんが、出来立てのほやほやのこの映画をいち早く見てくれた人でもある。ぴあフィルムフェスティバルに入選した時は大変喜んでくれました。
恩師とも言えるこの田中登社長さんだが、当時はこの会社を独立したてで、29歳だった。この方の影響もあり、飯島は20代での独立にこだわった部分もあるのだ。とにかくあらゆる面で社会勉強の場を与えくれたすばらしい会社である。
こうして毎年毎年、新年会に呼んでいただき本当に感謝です。飯島もこの会に参加すると、まるで毎年帰省する子供になった気分である。社長ご夫妻も今でも我が子のように接してくれて、毎年参加させていただく度にうれしそうに歓迎してくれるのだ。
そんな田中社長ももう60歳を迎えるらしい。当時と変わらず、絶大なる元気さで周囲を圧倒する社長からは今でも教えられることが多い。
いつまでもお手本にさせてください。飯島にとってシーマンサービスの方々にお会いできるのは毎年本当に楽しみです。ありがとうございます。




