2008年04月29日

この業界入って最初の上司とバッタリ会った!5

休日返上で仕事をしていたが、夜は友人と銀座でしゃぶしゃぶを食べていた。するとそこで、トイレ待ちをしている人がいた。どこかで見た顔だよなぁ・・・と思ったらやっぱりそうだった。飯島がこの業界に入った一番最初の上司・松村晴高さんだった。

飯島が最初に入った会社はコムサ・デ・モードを全国的に手がける設計施工会社だった。今では想像も出来ないほどの仕事量であり、まさにバブルの真っ只中だった。俺は工事の手配を担当する監理者として入社したのであった。もう21年前のことである。

その会社に入社してから2年間、ほとんど休みが取れないほどの過激スケジュールをこなし、それこそ毎日毎日、来る日も来る日も、工事現場に入り、怒られてばかりの日々だった。

とはいえ、今ではとてもありがたい修行期間と思えるのだ。その滅茶苦茶な状況をほぼ毎日共にしていたのが、その松村さんだったのだ。今思えば、bhでやっている仕事のすべての影響はその人から受け継いでいるのかもしれない。

とにかく久しぶりの再会にお互い大興奮で、その後、俺の友人と松村さんの3人で、そのまま飲みに出かけてしまった。俺の友人に対し、松村さんは色々俺の過去を嬉しそうに話していた。

「こいつはね、昔はねぇ・・・」という具合に。

話を聞いていれば、もちろん懐かしいことの数々で、恥ずかしくなってしまうことも友人に対し思いっきり暴露していた。

松村さんも今でも同じ業界にいるが、今飯島がbhでやっていることは詳しくは知らなかった。色々説明したりしているうちに、松村さんがこんなことを言ってくれた。

ともすればこのデザイン設計施工の業界は、とても気性が荒い人を沢山取りまとめる仕事とも言えて、年がら年中どっかで争いが存在したりするのだ。ましてやバブルの絶頂期において世の全てはオーバーワーク状態。現場で殺されそうになった事だってあった。(本当の話)

「飯島は、いつもこんなことを言っていたよな。もっと争いをなくすこと出来ないのだろうか?お金(工事費とか)に対してなんでこんなにアバウトなのか?職人さんたちが報われない土俵をなんとかならないのか?とにかくより良く、皆がいい感じでお店作りできないものなのか?」

入社して何もわからない俺は、しょっちゅうこんなことを松村さんに提言していたようなのだ。(これはあまり覚えていなかった)

松村さんは、今のbhの話を聞いて、「飯島は当時から言っていた自分の理想をちゃんと作ることが出来たんだな。こいつらしいよ。」と俺の友人に、ちょっと誇らしげに話してくれたのだ。

現在松村さんも施工会社の社長さんで、なんと拠点は名古屋に会社を構えているのである。やっぱり名古屋は縁があるなぁ・・・

とにかく、そんな偶然の再会から大盛り上がりの飲みの席となり、非常にいい気分になれた。

こうして、仕事の上での自分の親父とも言える人物とこうして再び向かい合って酒を酌み交わすことができるって最高である。松村さんももう49歳らしいが、当時と全然変わらないエネルギッシュさで全然年齢を感じさせない若さだった。

最近、久しぶりにデザインを手がけたりしているが、なんとなく初心を思い出させられるような出来事が続いている。自分が進む道には、俺の原点とも言うべき現場、デザイン設計というフィールドから完全に離れてはいけないのではないかという御告げみないなものを感じている。

事実、今回の新小岩のプロデュース〜デザイン設計とう全過程を外注なしにやってるけど、すっごく楽しいんだよね。

今後も、複数のプロデュースに1件ぐらいは俺がデザイン担当してもいいかもなぁ・・・そんなことを感じた休日出勤であった。
bh_iijima at 23:58 │Comments(0)TrackBack(0)bhでの仕事 

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