bhでの仕事
2008年05月13日
レクチャーなんと8時間!後半ほとんど武道談義!
本日美容室開業のノウハウレクチャーをした。今日の受講生さんは14時からはじまり、なんと、23時までいた!
理由は、以前テコンドーをやられていた方だったので、通常のレクチャーで4時間半ほど講義した後、ず〜っとテコンドーをはじめ、今飯島が熱中しているジークンドーの話や、実戦空手の話など、思いっきり話が盛り上がってしまい。計8時間のうちの約半分近くが武道談義となってしまった。
こういした武道を志すもの同士で出会ってしまうと、ただそれだけで奇妙な連帯感や親近感を抱いてしまうもので、本当に話は尽きなかった。
お帰りになるときも、超パワーアップして頂けたようなので、良かったです。本日の受講生さん、レクチャーにいらしていただきありがとうございました。あわせて楽しい武道の話、ありがとうございました!
開業まで、是非頑張ってくださいね。応援しています!
理由は、以前テコンドーをやられていた方だったので、通常のレクチャーで4時間半ほど講義した後、ず〜っとテコンドーをはじめ、今飯島が熱中しているジークンドーの話や、実戦空手の話など、思いっきり話が盛り上がってしまい。計8時間のうちの約半分近くが武道談義となってしまった。
こういした武道を志すもの同士で出会ってしまうと、ただそれだけで奇妙な連帯感や親近感を抱いてしまうもので、本当に話は尽きなかった。
お帰りになるときも、超パワーアップして頂けたようなので、良かったです。本日の受講生さん、レクチャーにいらしていただきありがとうございました。あわせて楽しい武道の話、ありがとうございました!
開業まで、是非頑張ってくださいね。応援しています!
2008年05月12日
本日は終日、MTCパソコンスクールの図面作成
先週末にスタートしたMTCパソコンスクールの2号店開業の為、本日は一日平面レイアウト図面の作成をしていた。途中2件の来客があったが、ひとまず、3案の平面プランを作りメールにてオーナーさんとやり取りする予定。そして週1回のローテーションでbhのオフィスに来ていただきお互いに打合せしながら方針を決めてゆくのだ。
今回のプロデュースは、開業プロデュースではなく、ほぼ店舗デザインのみのプロデュースである。1号店がすでに4周年を迎えているので、コンセプトワークや販促アイテムなどが省略され、ほとんど店舗デザイン、店舗設計から着手しているわけである。
なによりも、できるだけ早く実現させることが最大のテーマであるので、こうして一気に作業を進めてゆく荒業で行くわけである。こうした荒業のバージョンの場合はなかなか外注デザイナーでは対応が難しくなるのだ。先週オーナーさんに現場をはじめて見せていただいた直後からファミレスに行き、すでにその場で何枚ものスケッチを描き、イメージの共有はした。土曜日から図面を作成する予定だったが、例によって新小岩のバー・チェアーズの現場騒動もあった為、実質上図面を書き始めたのは今日の午後イチからとなってしまった。(午前中は支払い業務でした)
今回のチェアーズのデザイン担当を引き受け、図面描きも久々ではあったけど、実は図面描きのスピードはおそらく誰にも負けないでしょう。過去うんざりするほど描いてきた経験ももちろんだが、建築士を取ったときも、ゼミに通っていたときにも、150人以上いた中でいつも描きあげるのがトップでした。(なんて、過去自慢しちゃいました)CADの時代になってからも、沢山の企業にCADの講師として教えに行ってたんです。
いまでは、飯島はプロデューサーとしての方が認知度が高いかもしれないけれど、中身はいまだ80%以上店舗デザイナーなんです。2日前に下野さんから言われたアドバイスは、こういう話でした。「飯島さん、いつまでも店舗デザインやっていてくださいよ!スピルバーグだって、いつまでも自分が監督して映画作るじゃないですか。飯島さんがデザインやってくれるなら、という人ってすごく多いと思いますよ。だから、やめないでください。」
この言葉はかなりズシンと来ました。確かに、俺のホームグラウンドはそこにあるんだもんな。
今回のプロデュースは、開業プロデュースではなく、ほぼ店舗デザインのみのプロデュースである。1号店がすでに4周年を迎えているので、コンセプトワークや販促アイテムなどが省略され、ほとんど店舗デザイン、店舗設計から着手しているわけである。
なによりも、できるだけ早く実現させることが最大のテーマであるので、こうして一気に作業を進めてゆく荒業で行くわけである。こうした荒業のバージョンの場合はなかなか外注デザイナーでは対応が難しくなるのだ。先週オーナーさんに現場をはじめて見せていただいた直後からファミレスに行き、すでにその場で何枚ものスケッチを描き、イメージの共有はした。土曜日から図面を作成する予定だったが、例によって新小岩のバー・チェアーズの現場騒動もあった為、実質上図面を書き始めたのは今日の午後イチからとなってしまった。(午前中は支払い業務でした)
今回のチェアーズのデザイン担当を引き受け、図面描きも久々ではあったけど、実は図面描きのスピードはおそらく誰にも負けないでしょう。過去うんざりするほど描いてきた経験ももちろんだが、建築士を取ったときも、ゼミに通っていたときにも、150人以上いた中でいつも描きあげるのがトップでした。(なんて、過去自慢しちゃいました)CADの時代になってからも、沢山の企業にCADの講師として教えに行ってたんです。
いまでは、飯島はプロデューサーとしての方が認知度が高いかもしれないけれど、中身はいまだ80%以上店舗デザイナーなんです。2日前に下野さんから言われたアドバイスは、こういう話でした。「飯島さん、いつまでも店舗デザインやっていてくださいよ!スピルバーグだって、いつまでも自分が監督して映画作るじゃないですか。飯島さんがデザインやってくれるなら、という人ってすごく多いと思いますよ。だから、やめないでください。」
この言葉はかなりズシンと来ました。確かに、俺のホームグラウンドはそこにあるんだもんな。
2008年05月10日
バーチェアーズ・柿沼アイアン制作過程
新小岩のショットバーのアイアン造作を担当する柿沼佳子から、またまた製作過程の写真が送られてきたので紹介する。

次に紹介するのは入り口ドアの上下に取り付けられるプレート部分の写真である。店内の内側に取り付くものはこうしてオープン日と、このお店に携わったメンバーの名前が刻印されるのである。下野(オーナー)、飯島(俺)、辻井(販促物担当)、木口(工事業者の現場担当者)柿沼(アイアン装飾担当)である。
このようにメンバーの名前をお店のどこかに残すという考えは、下野さん自身が初心を忘れないようにという思いをこめており、すべて下野さんのアイディアである。


また、本日は夜の8時過ぎに現場に呼ばれた。実はちょっとしたトラブルがあり、その交通整理に飯島が自ら現場に行き指示を飛ばしたのであった。このお店のメインとなる石貼りの貼り方が若干芳しくなく、どのように軌道修正するべきか、現場の担当者木口さんも、石の職人さんも、どう対処したらよいやらわからなくなり飯島へ朝から電話の嵐だったのである。電話を通して色々やり取りはしていたのだが、やっぱり現場に行かなければどうにもならない状況となり、わざわざ下野さんにも現場に来てもらい緊張の時間が展開した。
飯島もこの業界では現場から育った生い立ちがあるので、現場にでると普段の極めてソフトな物腰から一変し、いわゆる現場モードになって色々なプレッシャーを掛けてゆくことになる。ほとんど貼りあがりに近い状態ではあったが、何箇所か貼りあがったところを再びはがしてもらい、ズバリ「貼り直し」の指示を飛ばしたわけである。
できればこのようなことが無い様に事前に密な打合せが必要なのであるが、現場で「言った、言わない、聞いた、聞いていない」論争をするより、今この段階からできることを模索したほうがずっと建設的である。
いままで緊張感十分に進めてきた現場の担当者も本日ばかりは飯島にエネルギーを奪われてしまったようだった。
とはいっても、誤解が無い様にお話しておこう。今回の業者さんは競争入札によりはじめての起用なわけだが、十分に頑張ってくれている。それは下野さんも感じていることであろう。だが、最後の最後の詰めの段階で、小さなことであっても妥協はよくないわけで、今日の飯島から現場への指示は業者側にとってはちょっと厳しい要求だったかもしれない。しかし、抵抗することなく早速手直しに着手してくれた姿勢は非常にOKであった。
現場に入っているときは、ちょっと俺も怖いモードなのかもしれない。声、表情を含めとても勢いやプレッシャーが出てくるらしい。もともと現場でのデザイナーの役割はそういうものだと思うのだ。オーナーさんが血のにじむ思い出集めたお金なのだから、同じ石を同じ量だけ貼られていれば良いというものではないのだ。より良く、より見栄えがいいように貼られてこそ、お金を払うのだ。
現場は常にきな臭い雰囲気が隣り合わせだが、現場担当者はもちろん、職人さんも、デザイナーも、とにかくいいものを作ろうという意識無しには絶対にうまくいかないのだ。
なによりも、無事に軌道修正できて良かった。
遅くに下野さんに来てもらったので、その後下野さんと飲みに出かけた。(通常はお店が完成するまでは飲みに行かないのだが)いざ飲み始めたら、さすがに2年前から関わっている関係もあり、なんと朝まで飲み明かしてしまった。
下野さんからも、「飯島さん(bh)には、常にこうあってほしい」という貴重な貴重なアドバイスも頂いた。たまたまこんな展開の日となってしまったが、すごく意味がある日だったと思う。
下野さんありがとう。


次に紹介するのは入り口ドアの上下に取り付けられるプレート部分の写真である。店内の内側に取り付くものはこうしてオープン日と、このお店に携わったメンバーの名前が刻印されるのである。下野(オーナー)、飯島(俺)、辻井(販促物担当)、木口(工事業者の現場担当者)柿沼(アイアン装飾担当)である。
このようにメンバーの名前をお店のどこかに残すという考えは、下野さん自身が初心を忘れないようにという思いをこめており、すべて下野さんのアイディアである。


また、本日は夜の8時過ぎに現場に呼ばれた。実はちょっとしたトラブルがあり、その交通整理に飯島が自ら現場に行き指示を飛ばしたのであった。このお店のメインとなる石貼りの貼り方が若干芳しくなく、どのように軌道修正するべきか、現場の担当者木口さんも、石の職人さんも、どう対処したらよいやらわからなくなり飯島へ朝から電話の嵐だったのである。電話を通して色々やり取りはしていたのだが、やっぱり現場に行かなければどうにもならない状況となり、わざわざ下野さんにも現場に来てもらい緊張の時間が展開した。
飯島もこの業界では現場から育った生い立ちがあるので、現場にでると普段の極めてソフトな物腰から一変し、いわゆる現場モードになって色々なプレッシャーを掛けてゆくことになる。ほとんど貼りあがりに近い状態ではあったが、何箇所か貼りあがったところを再びはがしてもらい、ズバリ「貼り直し」の指示を飛ばしたわけである。
できればこのようなことが無い様に事前に密な打合せが必要なのであるが、現場で「言った、言わない、聞いた、聞いていない」論争をするより、今この段階からできることを模索したほうがずっと建設的である。
いままで緊張感十分に進めてきた現場の担当者も本日ばかりは飯島にエネルギーを奪われてしまったようだった。
とはいっても、誤解が無い様にお話しておこう。今回の業者さんは競争入札によりはじめての起用なわけだが、十分に頑張ってくれている。それは下野さんも感じていることであろう。だが、最後の最後の詰めの段階で、小さなことであっても妥協はよくないわけで、今日の飯島から現場への指示は業者側にとってはちょっと厳しい要求だったかもしれない。しかし、抵抗することなく早速手直しに着手してくれた姿勢は非常にOKであった。
現場に入っているときは、ちょっと俺も怖いモードなのかもしれない。声、表情を含めとても勢いやプレッシャーが出てくるらしい。もともと現場でのデザイナーの役割はそういうものだと思うのだ。オーナーさんが血のにじむ思い出集めたお金なのだから、同じ石を同じ量だけ貼られていれば良いというものではないのだ。より良く、より見栄えがいいように貼られてこそ、お金を払うのだ。
現場は常にきな臭い雰囲気が隣り合わせだが、現場担当者はもちろん、職人さんも、デザイナーも、とにかくいいものを作ろうという意識無しには絶対にうまくいかないのだ。
なによりも、無事に軌道修正できて良かった。
遅くに下野さんに来てもらったので、その後下野さんと飲みに出かけた。(通常はお店が完成するまでは飲みに行かないのだが)いざ飲み始めたら、さすがに2年前から関わっている関係もあり、なんと朝まで飲み明かしてしまった。
下野さんからも、「飯島さん(bh)には、常にこうあってほしい」という貴重な貴重なアドバイスも頂いた。たまたまこんな展開の日となってしまったが、すごく意味がある日だったと思う。
下野さんありがとう。
2008年05月09日
MTCパソコンスクール2号店のプロデューススタート!
今年で開業4周年を迎える練馬のMTCパソコンスクールさんが2号店の出店を決め、本日プロデュースがスタートした。丁度1年前も1号店のスクールを部分改装したばかりだが、運営は上々らしく今年は2号店の出店という運びとなった。今度の出店場所は大江戸線光が丘での開業となる。1号店では10坪に満たない小規模な出店ではあったが、いまや生徒さんの数もかなりのものらしい。オーナー大関優子さんと1年ぶりに再会し、物件のチェック及び現場寸法の採寸、空間イメージや要望をヒヤリングしてきた。
なるべく早く開業させたいという要望なので、超特急バージョンで早速現段階も作業がスタートしている。時間が無いことと、オーナーさん直々のリクエストもあり、そして最近再びデザイン業務に回帰している俺自身の考えもあり、今回も再び俺がデザイン設計をやることにした。もちろん、今現在は比較的にbhのプロデュース業が混んでいないというタイミングも手伝っての話である。
なんだか、ここのところ、メインの美容室、理容室ではなく、バーとか今回のパソコンスクールとか・・・もちろんそれもOK!
店舗開業の安全な立ち上げというのは美容室や理容室にかぎらず、全業種共通なのだから。その昔、ありとあらゆる業種をデザイン設計してきた経験があるので、今となってはどんな業種のオファーが来てもまったく問題ない。長年続けてきただけあって、いつしかこうした余裕で受け入れられる自分になったのだなぁと、ちょっとだけ振り返りながら、しみじみ思う。
よっしゃ!がんばろ!大関さん、任せといて!
なるべく早く開業させたいという要望なので、超特急バージョンで早速現段階も作業がスタートしている。時間が無いことと、オーナーさん直々のリクエストもあり、そして最近再びデザイン業務に回帰している俺自身の考えもあり、今回も再び俺がデザイン設計をやることにした。もちろん、今現在は比較的にbhのプロデュース業が混んでいないというタイミングも手伝っての話である。
なんだか、ここのところ、メインの美容室、理容室ではなく、バーとか今回のパソコンスクールとか・・・もちろんそれもOK!
店舗開業の安全な立ち上げというのは美容室や理容室にかぎらず、全業種共通なのだから。その昔、ありとあらゆる業種をデザイン設計してきた経験があるので、今となってはどんな業種のオファーが来てもまったく問題ない。長年続けてきただけあって、いつしかこうした余裕で受け入れられる自分になったのだなぁと、ちょっとだけ振り返りながら、しみじみ思う。
よっしゃ!がんばろ!大関さん、任せといて!
2008年05月05日
2008年05月03日
チェアーズ装飾アイアンワーク2
昨日に引き続き、アイアン作家柿沼佳子のアイアン制作レポート!!これは昨日の記事でも書いたドアの引手部分の造作である。このように真っ赤に熱した鉄をガシガシ叩いて造形してゆく。女性なのにコークスを焚いて、さんがら鍛冶屋のような作業をする柿沼はすごい!今回飯島は高尾にある工房へ行けなかったのだが、オーナー下野哲也さんはカッキーワールドの工房に出かけ、実際にあ〜したい、こ〜したいという要望をカッキーこと柿沼に注文したのだ。もちろんその注文どおりに着々と制作は進んでいるのです。この写真はお店の外側に取り付く予定の引手である。

そしてもう一方、店内側には、カッキーこだわりのバラの模様を盛り込んだデザインの引手である。そう、このドアには裏表、違った形状のものが取り付く予定なのである。


そしてもう一方、店内側には、カッキーこだわりのバラの模様を盛り込んだデザインの引手である。そう、このドアには裏表、違った形状のものが取り付く予定なのである。


2008年05月02日
新小岩チェアーズの装飾物・アイアンワーク
世の中の連休中は、新小岩の現場が動いている真っ最中。現場ばかりではなく、工事期間のラストのほうで、ボトル棚のところに取付予定のアイアン造作と入り口ドアの取手が高尾の工房で製作されている。

これらの制作物は、工事の最終週に、工事業者管轄で製作されているボトル棚の家具と、いざ合体ということになるのである。お店というのはこうして、様々な品物が、それぞれ別々の場所で作られ、いつしか一つの場所にミックスされて完成されていくのである。もちろん下の写真にあるドアの引き手のバック見えているのは、現地に取付られるドアではない。あくまでもアイアンのみ製作している工房で撮った写真であり、進行状況を知らせるためにアイアン作家の柿沼女史が飯島にメールで送ってきたものである。実際のドアを工房に運び込んで作っているわけではないので、柿沼が頼りにしている情報はドアのサイズのみ。数字と図面だけを頼りに、ある意味カンを最大限まで働かせながら製作してゆくのである。

というわけで、家具やドアとの合体が楽しみである。今回もカッキー(柿沼)は燃えているようだ。

これらの制作物は、工事の最終週に、工事業者管轄で製作されているボトル棚の家具と、いざ合体ということになるのである。お店というのはこうして、様々な品物が、それぞれ別々の場所で作られ、いつしか一つの場所にミックスされて完成されていくのである。もちろん下の写真にあるドアの引き手のバック見えているのは、現地に取付られるドアではない。あくまでもアイアンのみ製作している工房で撮った写真であり、進行状況を知らせるためにアイアン作家の柿沼女史が飯島にメールで送ってきたものである。実際のドアを工房に運び込んで作っているわけではないので、柿沼が頼りにしている情報はドアのサイズのみ。数字と図面だけを頼りに、ある意味カンを最大限まで働かせながら製作してゆくのである。

というわけで、家具やドアとの合体が楽しみである。今回もカッキー(柿沼)は燃えているようだ。
2008年04月29日
この業界入って最初の上司とバッタリ会った!
休日返上で仕事をしていたが、夜は友人と銀座でしゃぶしゃぶを食べていた。するとそこで、トイレ待ちをしている人がいた。どこかで見た顔だよなぁ・・・と思ったらやっぱりそうだった。飯島がこの業界に入った一番最初の上司・松村晴高さんだった。
飯島が最初に入った会社はコムサ・デ・モードを全国的に手がける設計施工会社だった。今では想像も出来ないほどの仕事量であり、まさにバブルの真っ只中だった。俺は工事の手配を担当する監理者として入社したのであった。もう21年前のことである。
その会社に入社してから2年間、ほとんど休みが取れないほどの過激スケジュールをこなし、それこそ毎日毎日、来る日も来る日も、工事現場に入り、怒られてばかりの日々だった。
とはいえ、今ではとてもありがたい修行期間と思えるのだ。その滅茶苦茶な状況をほぼ毎日共にしていたのが、その松村さんだったのだ。今思えば、bhでやっている仕事のすべての影響はその人から受け継いでいるのかもしれない。
とにかく久しぶりの再会にお互い大興奮で、その後、俺の友人と松村さんの3人で、そのまま飲みに出かけてしまった。俺の友人に対し、松村さんは色々俺の過去を嬉しそうに話していた。
「こいつはね、昔はねぇ・・・」という具合に。
話を聞いていれば、もちろん懐かしいことの数々で、恥ずかしくなってしまうことも友人に対し思いっきり暴露していた。
松村さんも今でも同じ業界にいるが、今飯島がbhでやっていることは詳しくは知らなかった。色々説明したりしているうちに、松村さんがこんなことを言ってくれた。
ともすればこのデザイン設計施工の業界は、とても気性が荒い人を沢山取りまとめる仕事とも言えて、年がら年中どっかで争いが存在したりするのだ。ましてやバブルの絶頂期において世の全てはオーバーワーク状態。現場で殺されそうになった事だってあった。(本当の話)
「飯島は、いつもこんなことを言っていたよな。もっと争いをなくすこと出来ないのだろうか?お金(工事費とか)に対してなんでこんなにアバウトなのか?職人さんたちが報われない土俵をなんとかならないのか?とにかくより良く、皆がいい感じでお店作りできないものなのか?」
入社して何もわからない俺は、しょっちゅうこんなことを松村さんに提言していたようなのだ。(これはあまり覚えていなかった)
松村さんは、今のbhの話を聞いて、「飯島は当時から言っていた自分の理想をちゃんと作ることが出来たんだな。こいつらしいよ。」と俺の友人に、ちょっと誇らしげに話してくれたのだ。
現在松村さんも施工会社の社長さんで、なんと拠点は名古屋に会社を構えているのである。やっぱり名古屋は縁があるなぁ・・・
とにかく、そんな偶然の再会から大盛り上がりの飲みの席となり、非常にいい気分になれた。
こうして、仕事の上での自分の親父とも言える人物とこうして再び向かい合って酒を酌み交わすことができるって最高である。松村さんももう49歳らしいが、当時と全然変わらないエネルギッシュさで全然年齢を感じさせない若さだった。
最近、久しぶりにデザインを手がけたりしているが、なんとなく初心を思い出させられるような出来事が続いている。自分が進む道には、俺の原点とも言うべき現場、デザイン設計というフィールドから完全に離れてはいけないのではないかという御告げみないなものを感じている。
事実、今回の新小岩のプロデュース〜デザイン設計とう全過程を外注なしにやってるけど、すっごく楽しいんだよね。
今後も、複数のプロデュースに1件ぐらいは俺がデザイン担当してもいいかもなぁ・・・そんなことを感じた休日出勤であった。
飯島が最初に入った会社はコムサ・デ・モードを全国的に手がける設計施工会社だった。今では想像も出来ないほどの仕事量であり、まさにバブルの真っ只中だった。俺は工事の手配を担当する監理者として入社したのであった。もう21年前のことである。
その会社に入社してから2年間、ほとんど休みが取れないほどの過激スケジュールをこなし、それこそ毎日毎日、来る日も来る日も、工事現場に入り、怒られてばかりの日々だった。
とはいえ、今ではとてもありがたい修行期間と思えるのだ。その滅茶苦茶な状況をほぼ毎日共にしていたのが、その松村さんだったのだ。今思えば、bhでやっている仕事のすべての影響はその人から受け継いでいるのかもしれない。
とにかく久しぶりの再会にお互い大興奮で、その後、俺の友人と松村さんの3人で、そのまま飲みに出かけてしまった。俺の友人に対し、松村さんは色々俺の過去を嬉しそうに話していた。
「こいつはね、昔はねぇ・・・」という具合に。
話を聞いていれば、もちろん懐かしいことの数々で、恥ずかしくなってしまうことも友人に対し思いっきり暴露していた。
松村さんも今でも同じ業界にいるが、今飯島がbhでやっていることは詳しくは知らなかった。色々説明したりしているうちに、松村さんがこんなことを言ってくれた。
ともすればこのデザイン設計施工の業界は、とても気性が荒い人を沢山取りまとめる仕事とも言えて、年がら年中どっかで争いが存在したりするのだ。ましてやバブルの絶頂期において世の全てはオーバーワーク状態。現場で殺されそうになった事だってあった。(本当の話)
「飯島は、いつもこんなことを言っていたよな。もっと争いをなくすこと出来ないのだろうか?お金(工事費とか)に対してなんでこんなにアバウトなのか?職人さんたちが報われない土俵をなんとかならないのか?とにかくより良く、皆がいい感じでお店作りできないものなのか?」
入社して何もわからない俺は、しょっちゅうこんなことを松村さんに提言していたようなのだ。(これはあまり覚えていなかった)
松村さんは、今のbhの話を聞いて、「飯島は当時から言っていた自分の理想をちゃんと作ることが出来たんだな。こいつらしいよ。」と俺の友人に、ちょっと誇らしげに話してくれたのだ。
現在松村さんも施工会社の社長さんで、なんと拠点は名古屋に会社を構えているのである。やっぱり名古屋は縁があるなぁ・・・
とにかく、そんな偶然の再会から大盛り上がりの飲みの席となり、非常にいい気分になれた。
こうして、仕事の上での自分の親父とも言える人物とこうして再び向かい合って酒を酌み交わすことができるって最高である。松村さんももう49歳らしいが、当時と全然変わらないエネルギッシュさで全然年齢を感じさせない若さだった。
最近、久しぶりにデザインを手がけたりしているが、なんとなく初心を思い出させられるような出来事が続いている。自分が進む道には、俺の原点とも言うべき現場、デザイン設計というフィールドから完全に離れてはいけないのではないかという御告げみないなものを感じている。
事実、今回の新小岩のプロデュース〜デザイン設計とう全過程を外注なしにやってるけど、すっごく楽しいんだよね。
今後も、複数のプロデュースに1件ぐらいは俺がデザイン担当してもいいかもなぁ・・・そんなことを感じた休日出勤であった。











